妙に暖かい。
その暖かさにベルは目が覚めた。彼がベッドの上で横になっていたことはすぐにわかった。
だが目を開けなかった。
状況をまず把握したかったからだ。
近くに人の気配。
さらに薪のはぜる音がする。暖炉か何かがあるのだろう。
うっすらと目を開け、周りを確認する。
最初に見えたのは天井、暖炉の光でぼんやりとその室内を照らしている。壁や天井は木でできていて、どうやら室内にいるようだ。
焚き火の近くに背を向けている人影が見える。
体のあちこちに痛みがある。
体を少し動かす、痛みが増すが動けないほどではない。
どうやら手当てが施されているらしい、体に幾重にも包帯が巻かれていた。出血自体は止まっているようだが、包帯はところどころ血がにじんでいた。
拳を握り締める。
これが武器だ。
次に起こす行動をイメージする。
立ち上がり、相手を捕らえるという一連の動作をシュミレイトする。
ここで大きく火がはぜる音がする。
それをきっかけにその人影に襲い掛かる。
後ろから相手の首を腕で抱え込み―――拘束する。
「お前……なぜ俺を助けた?」
その人影の首をしゃべれる程度に緩める。
「だって……」
その影の主―――先に戦った少女がいう。
「だって僕……」
少女はあのときのように暴れ出すことは無いようだ、先ほどとはまるで憑き物が落ちたように全体の雰囲気がぜんぜん違っていた。
「僕を……あそこから出してくれた」
少女はこんな状況なのに驚きの声や、あわてる様子さえも見えない
激しい風の音がする。どうやら外は吹雪いているらしい。
「……僕を外に連れ出してくれた」
そうだった。
彼は思い出した。
周りは一面の銀色。
白の世界、施設の白とは違って美しさを秘めた銀。施設を抜け出すと、あたりは一面の雪だった。
明るいうちならば景色は良かっただろう。
しかし、今は真夜中である。
風景は闇に溶け込み、雪明りが闇の中に浮かび上がるだけであり、見通しは悪い。
時間のほどは日が落ちてかなりたっていた。だから雪の中をあてもなく歩くというのはかなりの危険がともなう。それに雪が降っている、このまま吹雪く可能性もある。
しかし、彼は足を止めることはできなかった。
追っ手が迫っているかもしれないのだ。
停電の隙を突いて、ここまで逃げてこられたが、追っ手は迫っていることは十分、考えられる。そのため、出来るだけ距離をとっておきたかった。
寒さのために防寒着を着込んでいた、施設で見つけたのだ。しかしそれは動きやすい代物というわけではなく彼の歩みを余計に遅くさせていた。それでなくても、彼は怪我をしているのだ。
さらに防寒着の上から寒さが体を蝕む、指や足先は感覚を失うほどである。そして体の傷に寒さと疲労がひびくという悪循環。
歩くたびに雪の中に深く足が沈む。
それも当然だった。
背中に先の少女を背負っているからだった。
停電の後、自分はこの少女を見捨てて置けなかった。自分に襲い掛かってきた人間であるにも関わらず、その少女を背負い、そして施設を逃げ出した。
その理由がまったくわからない。
あの少女に今の彼の状況―――閉じ込められているという状況を重ねてみたというわけではない。
一人が怖かったわけでもない。
しかし、放っておくことが出来なかった。
体を動かすたびに長い髪が首筋を刺激してくすぐったく彼は感じていた。
少女の顔を少し顔を盗み見る。
少女は停電の時からずっと気絶していた。
先ほどからあの目が気になっていた。
あの赤が灯った目、あれが彼の頭から離れなかった。
今はその目もまぶたに閉じられて見えてはいない。
さっきのはいったい何だったのだのだろうか。
なぜか見知らぬ少女が急に襲い掛かって―――いや記憶が無くなっているので、その部分にこの少女がいたのだろうか。そしてこの少女に恨みをかったのだろうか。
いや、どちらかといえばさっきのはどこかこの少女が正気ではなかったような目をしていた気がする。
しかも、停電が起きたらその襲ってきた少女は勝手に気絶をした。わからないことだらけだった。
ため息と共に彼は思考を停止させた。
と
ドサッ
「!」
音をした方を振り向く、しかし誰もいない。
最初は雪が木から落ちた音だと思った。
だが、ベルの研ぎ澄まされた神経はそこに違和感を感じた。
ちりちりと感じる不快感。
「……」
三人そこにいた。
冷静になれ。
その言葉が頭の中ではじけた。
その言葉は彼女が自分によくいっていた。
三人は雪の中で目立ちにくい上下が白の防寒着を着込んでいる。さらに、その防寒着は対刃、対衝撃加工を加えられているものようだった、あの施設に警備の人間はそういった装備があるという知識が彼の中にあった。
一方こちらは、自分のも少女のも普通の防寒着である。そういった特殊な装備を探している時間が無かったのだ。武器はその場にあったナイフ、警棒、そして意思の銃、この銃は今の意思の消耗している状態では役に立ってくれない。
その三人の人はゆっくりと木々の影から出てくる。
状況はひたすら悪い、体力も意思もほとんどない状態。疲労で武器をうまく扱えるかどうかもわからない。
汗をぬぐう。
厚着で動き回っているからではない、傷の痛みによる脂汗だった。
彼が覚悟を決め攻撃に移ろうと構えた。しかし―――
「取引をしないか?」
「……どういう意味だ」
その三人のうち一番背の高い男がいう。
彼はいぶかしむ。
状況はこちらが断然不利だ。
一人は傷だらけ、一人は意識を失っている。今の状況ならすぐ攻撃に移るのが普通の考えだろう。
「……俺を処分するんじゃないのか?」
「……その娘を置いていけ、そうすればお前を見逃す」
その背の高い男が彼の言葉を無視していう。
しめた。
そう思った。
どうやら、この少女は施設にとって重要なものらしい。
「……どこにそんな保障があるんだ?」
「我々も君と戦うような危険を冒したくはない」
「……一理あるな」
その白い男たちに安堵した空気が流れる。
確かに一理あった。
彼らと戦えば、たとえ勝つことができなくても、白い服たちにもダメージを負わすことぐらいはできる。そしてベルにとってこの少女は他人である。この少女を引き渡しさえすれば、お互いに傷を負わなくてすむという話だ。
普通に考えれば一理あると思うだろう。
ベルはゆっくりと少女を背中からおろす。
その背の高い男が彼の方へとやってくる。
「では、もらっていくぞ」
「なぁ、あんた」
「ん?」
その背の高い男の頭に警棒を叩きつける。
その男はもんどりうって倒れる。
「何を!」
残りの二人が色めき立つ。
「……」
それに答えなかった。
それに答えられなかったからだ。
少し考えて、いう
「……だいたい、お前たちに渡すなんていっていない」
「ちっ」
舌打ちをして彼らが襲い掛かってくる。
なぜ自分はあの少女を渡さなかったのだろう。
最初は少女を渡そうと考えていた。しかし、渡せなかった。
その少女に悪いとか、そういう罪悪感でないことは確かだった。
ただ、それができなった。
少女を渡すことができなかった。
ふと気づく、敵を全員倒していることに。
ドサッ
何の音かわからない。
数秒後に気づく、自分が倒れた音であるといることに。
体がぼろぼろの状態での度重なる戦闘、そのための出血と疲労、もう体が動かない。
意識が遠くなる。
この雪の中、意識を失えば、すぐに凍死してしまう。
舌をかんで意識を保とうとするが、そのあごに力が入らない。
自分の目の前がぼやけ始める。
『石の上に降る雪は溶けずそこにあるだけ』
彼女がよく使っていた言葉、意味は状況によって違ってくるらしい。
彼女ならこういう。
『石の上に降る雪は溶けずそこにあるだけ……この場合、何もできずにだだ成り行きに任せるだけ、状況が変わったら―――春になったらどうにかなるかもね』
彼女?
一体誰のことだ?
思考がまるでまとまらない。
ぐるぐる回る意識と視界、その中で、なにかが動く気配を感じる。
……なんだ?
怪訝に思った。だが、視界と意識はどんどんぼやけていくのは止まらない。
やがてベルは意識を失った。
「僕を外に出してくれた」
少女はもう一度つぶやく。
どうやら気絶する一瞬前に動く気配を感じたのはこの少女だったのだろう、この少女が自分をこの場所まで運んで、暖炉に火を起こして、凍死から守ってくれたようだ。
「……それに―――」
今まで首を腕で少し絞めるような形のまま少女の背中ごしに会話をしていた。そのままの状態で少女は少しベルに顔を向けて、
「僕が……あなたを傷つけたんじゃないかって思って」
少女は笑っていった。
とても悲しそうに笑って、そういった。
しばし、会話が消える。
少女は暖炉の火に目を戻す。
「僕、血を見ると変になっちゃうんだ。誰かを傷つけたりしたり……」
少女はベルの腕が首にかかったまま話す。
「あなたが血だらけで部屋に入ってきたところまで覚えているんだけど、気づいたら、雪の中で倒れてた」
「……そして、俺をここまで運んだのか」
「正確にいうと、この山小屋の前まで、後は管理人さんが」
「……ここは山小屋なのか?」
「うん」
あたりは風の音、焚き火がはぜる音を繰り返ししているだけだった。
「……おかしくなってから、しばらくの間は大丈夫だから」
血を見ても、つまりベルの包帯のあちこちから滲み出した血を見ても、おかしくはならないということ少女は言っているのだろう。
その言葉にゆっくりと少女を解放する。
「……まだ、助けてもらったお礼をいっていない」
少女はそういって完全に振り向いて、
「ありがとう」
「……」
なんて返したらいいかわからなかった。
この少女を助けた理由自体わからない状態なのに、礼を言われることに違和感を覚えたからというのが一つ、もう一つは―――
あまりお礼されるということになれていなかった。
「……礼をされるようなことはしていない」
だから、そうベルは返した。
「俺が気絶してどれくらいたった?」
「一時間ぐらい……」
窓から外を見る。
この吹雪では追手も足止めを食らっているだろう。ということは体力を戻すチャンスだというわけだ。
安堵した。
これなら逃げられると。
体力さえ戻れば施設の追手を振り切ることはそう難しいことではない。なぜなら彼は意思を扱うことに長けていたし、またあの施設にいた人間をずいぶん叩き伏せたため、追手にさける人員も少ないという思いがあった。
そして施設の敷地から逃げ出し、街に逃げれば人目もあるから無茶な攻撃はしかけられなくなる、そもそも人ごみにまぎれた人間一人を見つけられる手段があるとは思えなかった。
確かに山の上にあの施設はあるが、その山は小さなものである。吹雪がやめば街がここからでも見ることができるかもしれない、そうすれば道には迷わないだろう。
問題が一つある、自分はいままで、あの施設から出たことはないということだ。そんな自分が単独で町で生活を営む。町で潜伏生活を送るとしても、住むところ、食べ物、そして金。それらの手に入れ方に知識としてはあっても経験が無かった。
住むところも食べ物もいままで与えられていたものばかりなのだ。金にいたってはもらった記憶さえない。
しかし―――後戻りする気はない。
「吹雪がやんだらここを出発する」
「……うん」
少女はポツリと言葉をこぼすようにしていう。
「お前はどうする?」
「……うん」
どうする―――か、自分はなぜこの少女は助けたのだろう?
理由はわからないだが―――
「名前」
「え?……」
「お前の名前なんていうんだ?」
「……僕の名前はマオ、マオ・リストラッサ」
少女はおずおずと答える。
「俺の名前はベル、ベル・クリスマスだ」
ベルは続けていう。
「……マオは街にいったことあるか?」
「……数年前に住んでた」
「十分だ」
ということはマオには町に行く以上役に立つというわけである。
理由が判らない―――だが
とりあえず、俺の役に立たせれば理由になるな。
そう思った。
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